舞台は神聖な場所かという仮説

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※この記事はずっと曖昧です。何も解決しません。

会場10分前、舞台上でアップやストレッチをしていた俳優たちが神棚に礼をしたり、客席に手を合わせて祈る。
上演中は、おしゃべりは厳禁、のどが乾かないように開演前にこそっと飴を頬張る。

日本の劇場でよく目にした光景で、観客の集中力には出演者としても驚くことすらある。逆にロンドンの劇場では、まずロビーにバーがあるので多くの人がお酒やスナックを購入し飲みながら観劇する(ちなみにその売り上げがかなり下支えしているそう)なんとなくカーテンコールになれば録画・撮影していい雰囲気だし、上演中にスマホを観たりお喋りしてしまう人も多い

勿論僕は作品に集中したいので、いちいちキーっとなったり、これだから観光客は治安が悪い。とか思ったりしそうになったのだけど、ブリティッシュアクセントでお喋りする人たちも居たし、ロンドンにおいての演劇は、肩ひじ張るものじゃないのかも。そもそも「まずは私」という国民性の人たちからお金を貰って、お酒と娯楽(演劇)を提供するのだから、逆に日本の緊張感あふれる客席が特異とも言える。パパイオアヌ―もワールドツアーで日本の客席が一番集中してたと言ってた。僕はちょっと寝てたけど。

パパイオアヌー@彩の国さいたま芸術劇場 この劇場の雰囲気本当に好き。もう少し駅と近ければと思ういつも。KAATにも。

演劇の原点は、能楽にしろ、キリストの受難劇、ギリシア悲劇にしろ、神への祈りを捧げたり、劇的空間に「神を存在させる」場所であったから、この仮説は多かれ少なかれ正しいのだろうけど、そこから何を経て今の客席空間が生まれたのかが気になる。恐らく「シェイクスピア時代の読者と観客」「シェイクスピア時代の演劇世界──演劇研究とデジタルアーカイヴズ──」で当時のUKの空気感を学びつつ「〈要点〉日本演劇史 年表 – 新国立劇場」で全体勘を掴み「コーラー(chora) : 神聖な演技空間(研究課題:韓国と日本伝統芸能の比較美学,I 共同研究)」を先行研究の一つとして辿ってゆけば、見えてくるものがあるんじゃないかなと思うんですが、ちょっと今は英語の勉強とプロデュースに忙しく潜れない。そもそも神に対する向き合い方も日本と欧州ではかなり差がある。

どこの国でも、演劇が上流階級向けだった歴史があったり、のちに禁止されたり、庶民が楽しむためにコソコソ行われ始めたりみたいな歴史はあるので、単に日本の演劇は能楽や歌舞伎が転じた物なので!と、西洋の影響をガン無視して語ることはできない。けれど、そもそも歌舞伎のように「語り」で演技を受け継いできた文化は、シェイクスピアの脚本のように勝手に改変することや、勝手に自分で解釈することは責任と周囲の目が伴うし、秘されていることが神聖さに繋がるのは想像にたやすい。

なんでこの仮説が今の自分にとって大切かというと、多分この空気感の違いを理解していないとUKの観客たちに自分の作品を受け入れてもらえなさそうだからだ。トトロと千と千尋がロンドンで上演されて、どちらもチケットが高騰し人気の舞台なのだが、批評家たちのレビューはトトロのほうが高い。アンサンブルの身体表現の自由さや、ジブリの持つ静と動のギャップの表現は、千尋のほうが、質が高かったと思うが、英語字幕での上演だったこと(没頭しづらい)、観客に視点が向いているような笑えるシーンが少ない。ことが原因の一つなんじゃないかと思っている。トトロは、トトロってこんな雰囲気だっけと思うほどジョークが多くて、観客もよく笑っていたが、千と千尋の神隠しの舞台が持つ怪しさや「巧みだ…」となる演出の表現は、日本で育った観客が満足するのは分かるが、UKの観客が求めていたものとは違うかもしれない。ここまでくると宮崎駿の宗教観とかの話にもなってくるけど。でもどちらもイギリスの演出家なので、その違いが生まれたこともオモシロイ。やっぱりプロデューサーとかプロダクションの差って大きいんだな。

「マリー・キュリー」UK版観てきました。日本版をなんで見てないんだ…熱心に感想残してくれていた方々ありがとう。英語にすると短くなる現象で1時間40分のノーインターバル。BLMの文脈を継承しつつ、物語の都合に女性を押し込めずエンカレッジし、多方面からラジウムを描いていて、音楽も独創的ではないけど軽快で良かったんだけど、なんとなくUKの観客はもう少し笑えて捻りが効いて驚くものを見たいのでは…?と思った。テンポが良すぎて、芝居の緩急が少なく、同じテンションのダイジェストを見せられているような瞬間があった。ここから変わっていきそうだけど。

[image or embed]— Shogo Amo (@amoshogo.bsky.social) Jun 6, 2024 at 23:51

韓国ミュージカルの「マリー・キュリー」があまりUK評価高くないことについてはBlueskyに書きました
ムーランルージュではしゃぐ人(そしてその後オーディションを受け、落ちることになる)

逆も気になる。帝国劇場で上演されているムーラン・ルージュは、どんな気概で観に行っているんだろう。ロンドンで観た時は、友達が誕生日プレゼントとしてワイン買ってくれたのもあって、初めてお酒を飲みながら観たんだけど「くだらなくてB級だけど、歌やダンスが豪華でおもしれーー!」と、かなり雑多な楽しみ方をしたのですが、18,500円払ってのムーランルージュには、もうちょっと高尚なものを期待してしまうかもしれない。しかもやっぱり輸入ミュージカルって、プロデュース側も「こんなすごい舞台です!」って広告するわけで。

これと関連して思うのが、メソッドにしろスタニスラフスキーにしろ日本で有名な演劇メソッドは西洋で、主に白人男性向けのテクニックでもあると言えて、それこそ僕個人としてはマイズナーは性に合っていたけど、宗教観や感情表現がかなり異なる日本で無批判に取り入れるのはどうなんだろうとも思っていて、やっぱその辺も含めて「演劇の開国」があった戦後の演劇界において、何が変わって何が残ったのかというのは、文化の違いを理解した上でプロデュースをするいい礎になりそう。

一番最悪だった普通に座っているとシャンデリアを眺めることしかできない席

あと日本の劇場がなんで横に広くて四角いのかっていうのも気になる。パッと考えると能楽堂が基となっている&建築基準法かなと思うけど、客席が弧を描いているので舞台に近いと感じる席が多く、わりと舞台が小さめなのでアンサンブルが少なくても埋まっているように感じられるロンドンやNYCの舞台も結構好き。そこっ?ってところに柱があったり、まじで天井しか見えない席とかもあったりするけど…

という何の裏付けもされていないドラフトな仮説でした。おすすめの本があれば教えてください。