性別移行する登場人物の一人称をどのように翻訳するか

台北の夜の街並み

 「I」や「我」といった統一された一人称を用いる言語から、「私」「僕」「俺」など、複数の選択肢が存在する言語に翻訳をするのは、大きな壁があると実感した。「家族の配列」は、父の訃報を受けて葬儀に参列した三姉弟が、異母姉妹と初めて出会い、交流を重ねる中で、家族や愛とは何かを、現代台湾の日常を通じて映し出す第19回台北文学賞優等賞受賞作品だ。

 今回のWS中に議論の場に上がったのは末っ子、佳華(ジアホア)の一人称。母方の姓を名乗る事にこだわり、姉とジェンダーアイデンティティを巡って口論し、マイヨガマットを持つ佳華に、どんな一人称を訳すのが適当だろうか。どのような演出で演じるか、そして周りがどう反応するかによっても言葉の意味は変化するが、戯曲での一人称付与は一つの重大なメッセージになり得る。

 本WS用の翻訳では、3場までは「自分」が、豊胸手術中のために不在の4場を挟み、5場からは「私」が用いられた。また、最初の頃は「弟」や「息子」と呼ばれていたが、5場では長女・佳恵(ジアホエ)が「ホワホワ(佳華のニックネーム)は自分を女の子だと思ってる。いや、ホワホワは自分を女だと認識している」と言い直すなど、周囲の接し方にも変化がある。既に最新稿では書き換えられているそうだが、1場に一箇所だけ「僕」と自分を呼称する台詞があり、そこを発端として一人称についての議論が広がった。手術をしてスカートを履くようになってから「私」と自分を呼べるようになることへの祝福、一人称を言い直す可能性などの意見が出た。

 時間経過が多い本戯曲の特性として、佳華が姉へカミングアウトしようとする場面から、姉たちに見守られながら手術を受け、葬儀に異母姉妹の母から送られた黒い洋装を着て参加するまでの間が描かれない。観客は行間を読み取りながら想像を膨らませることができるが、昨今のトランスジェンダーを取り巻く差別的発言の多さなどから、誤解を招く表象にならないかと私は懸念する。

 トランスジェンダーたちが経験する性別移行とは、戸籍や一人称の変更など「長い時間をかけて、たくさんの困難と向き合いながら生きてゆく性別を変えてゆく」 1とされる。ジェンダーアイデンティティを自覚し認めてゆく精神的な性別移行、髪型や衣服の変更(ト書きで明確になるのは5場)、家族へのカミングアウト(3場)や戸籍の変更(5場で言及される)の社会的な性別移行、そして医学的な性別移行(4場)と、本戯曲内でも多くの経緯が描かれる。5場から装いを著しく変化させたり、言葉遣いを変えたりすることによって、弟をサポートしようとする姉たちに囲まれて、ようやく「私」という一人称を使えるようになったと描写できる一方で、手術をしたから性別移行が完了したとするような演出になりかねないと私は考える。また、4場に出演しない佳華役の俳優は衣装替えやメイクアップをする時間が与えられている。

 トランスジェンダーが登場する戯曲とその翻訳において、当事者の実情を踏まえて、偏見に同調することを避けるなら、序盤から最後まで一人称を統一するか、「自分」「私」「僕」などの一人称を、話す相手や佳華の感情を鑑みて混ざり合わせるプランも提案したい。5場で容姿の変化が演出されたとしても、自身のジェンダーアイデンティティと向き合い揺らぐ様、もしくは意思をもった選択を描くことが期待できるからだ。性的マイノリティが登場する本戯曲の上演は、多かれ少なかれ社会での認識に影響を与えるからである。

 2024年現在の台湾では内政部の布告に従い、性別要件の変更に生殖器の切除が求められている2。本戯曲が発表された2016年から現在までに、司法院最高行政裁判所(SAC)が、上記の布告は「身体的権利、医療的権利、人間の尊厳、および人格の権利を著しく侵害する」3と明言した、手術を伴わない戸籍変更を求めたトランス女性が裁判で勝訴する4などの進歩があるも、法整備には至っていない。戯曲執筆当時の2016年から月日が経っても、まだ法整備にはいたらないであろうという李屏瑤による予測は的中した。しかし、日本でも最高裁が性別変更の手術要件は憲法違反とした5ことも踏まえて、台湾・日本でトランスジェンダーの生活に寄り添った法整備が進むことを私は期待する。

 初読の際には、共感できない戯曲だと感じていたが、今回のWSを通じて、台湾の文化的背景や登場人物それぞれの異なる思惑、変化など、読み解くほどに新たな発見があり、心を揺さぶられた。この作品を上演するにあたり、どのように観客を引き込むのか、いかに作品が創り上げられるのか、とても興味深い。現代の台湾をそのまま描こうとするのか、さらに未来を予測して描くのか、戯曲の外側に広がる歴史や実情を踏まえた上で、佳華が描かれることを私は願う。

参考文献

  1. 周司あきら, and 高井ゆと里. トランスジェンダー入門. 集英社, 2023. ↩︎
  2. Scherpe, Jens M., ed. The Legal Status of Transsexual and Transgender Persons. Intersentia, 2015. https://www.cambridge.org/core/books/legal-status-of-transsexual-and-transgender-persons/5002EE29EDCD4BEE8123FC899C17AA0D ↩︎
  3. 最高行政法院, ed. “最高行政法院110年度上字第558號上訴人OOO與被上訴人高雄市鳳山戶政事務所間有關戶籍變更登記事件新聞稿.” 司法院 Judicial Yuan, September 21, 2023. https://www.judicial.gov.tw/tw/cp-1888-947361-0afda-1.html. ↩︎
  4. 社運 發電機, ed. “【新聞稿】跨性別者小E 性別變更登記成功.” 公民行動 影音紀錄資料庫, November 19, 2021. https://https://www.civilmedia.tw/archives/106812www.judicial.gov.tw/tw/cp-1888-947361-0afda-1.html. ↩︎
  5. 東京新聞, ed. “性別変更の「手術要件」は違憲  最高裁が初判断 生殖能力なくす性同一性障害特例法の規定【裁判官一覧】.” 東京新聞 TOKYO Web, October 25, 2023. https://www.tokyo-np.co.jp/article/285891. ↩︎

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