髪の毛に包まれたなら。

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歯医者に行くのは好き。口を開けているだけで、口内が健康になるのが王族にでもなった気分。
だけど、髪を切るのは少し気が重い。

東京ではずっとお世話になっている美容師の方がいて、彼の手さばきやこだわりが好きだから、自分の髪を利用した匠の技を鑑賞しに行くようなつもりで行ってたし、ずっと通ってるもんだから他のスタイリストやアシスタントのみんなとも顔見知りになって、ひと月一度、チリツモする世間話で、お互いの歴史をちょっとずつ交換するのが好き。ヤな感じの常連になってないかな。馴れ馴れしくないかなと、いつも気を付けているけど。

だから美容院に行くのはすごい好きなのに、髪を切るのがなんかさみしく感じてしまう。大昔から。なんでだろ。ヒッピーなの…?確かにHairを観て育ったけど。

小さい頃から隙があれば髪を伸ばしていた。プールでアタマジラミをうつされたときと、高校受験のために担任教師から髪を切った方がいいと言われたとき(僕を想ってのことだけど、今思うとなんじゃそりゃだな。制服自由の学校を受けたのに)は、泣きながらロングヘアを切ったのを覚えてる。特にあの頃は性別違和が強かったのもあるのかも。とはいえ、長髪とジェンダーは必ずしも結び付くわけでは無い。

人生最長は20代前半の頃で「仕事の依頼があったら切る」と思ってたんだけど、舞台では大体ウィッグで、全然地毛を使わなかったから、映画「金色」で人生初のブリーチをした後は、緑にしたり、グレーにしたり、いろんな色を楽しんでいた。でも「君は女の子になりたいんだよね?」と聞かれることも一番多くて、それは、違うような~~違わないような~~~というか、かなりパーソナルな質問ですよねそれ~~。と思いながら、テキトーにあしらっていた。

頭を立体的にとらえたときに、顔があるのってほんの一部だけで、伸ばしていれば多くを髪が覆っている。だから髪型って人のイメージを大きく左右すると思うんだけど、やっぱり髪が長いと所謂青年の役とかが回ってこなかったりしたのもあって、ボブを挟んで、映画「歩く魚」の時に「仕事の依頼」でカットすることになったので、そこからショートヘアに。

俳優には、宣材写真というものがあって、ある程度その写真とイメージが近いことが求められることが多いので、ショートヘアで撮影してからは、だいたいその長さを保っている。唯一遊んだのは、パンデミック禍。まだそこまでリバイバルが来てなかったウルフショートにして、先述の美容師と試行錯誤を重ね「ウルフにもなるし、小さく纏めて隠せば、ショートヘアにも見える」スタイルを生み出した。映像の仕事が増えていたころだったので、仕舞っちゃえばサラリーマン風にもなるし、出せば個性的な髪型にもできるし重宝していた。

ただこの髪型は、超絶技巧パーマが必要だし、維持が大変なので、渡英前には割と短くした。短い髪をウィッグで表わすのは技術が必要だけど、長い髪はウィッグを被っちゃえばいい。という心もある。ドライヤーは楽だし、ナチュラルなヘアスタイルのお陰で、多少だらしがなかろうが、眉毛を書かなかろうが、フィットするので日々は生きやすい。

重力に逆らってウルフショートの髪がふわっとしている。フィルムの淡い質感。枯れた紫のニットに、白い背景。
photographer:大木慎太郎

色んな髪型を街で見かけるけど、それが本人の自由であるかを考えずに、その人の性自認やアイデンティティを決めつける人や社会があるし、間違った規律や先入観は学んで早急に訂正していただきたいと、特にブラックヘアについても思う。流行を知る中で、文化の盗用ではないかという視点も常に持ち続けたい。でもどうして、個人として、髪を切ることにこんなにも気合がいるんだろう。

例えばもっと演出家として活動することになった時とか、ウィッグを被る舞台公演が続くときとか、また髪を伸ばしてみようか。ウルフ部分だけ際限なく伸ばすとかもありだな。別にショートヘアが嫌いなわけじゃないから、ちょっとずつ色んな髪型を試してみよう。前髪重めなブリティッシュ風のショートヘアとか、柔らかそうなベリーショートとか。ゆうて人はそんなに気にしない気もするし。うん…美容院に電話しよう。