どんな異人として住み着くか

東京の街角、空き地に駐車禁止の張り紙があり、ガスメーターがたくさん見える。壁がオフホワイトのアパートたち Blog

「一時帰国」という経験がはじめてだった。

もし予定通り来年の8月に日本に戻ってくるのなら、これが人生で最後の一時帰国になるかもしれない。そんなドキドキを詰め込んで日本に来たら、ロックが掛かっていたSuica、増えた〇〇ペイ、注意書きの張り紙。実は複雑な仕組みと生きていたことを思い出す。

ロンドンで聞こえる日本語は、誰かが聞いているという前提じゃない会話だったりするので(自分も気を付けよう)、聞こえないふりをしているのだけど、東京では多くの人が日本語で話すから、すこしたじろぐ。それにしても電車内が静か。

広告にアジア人が多いことを新鮮に、目に見えるクィアや障害者の起用は少ないと感じた。撮影現場で何を求められているのかが瞬時に理解出来て自信を持てたし、ビデオ通話でしか話していなかった友人たちと実際に会うと、一緒に移動をしたり、他者が隣に居たり、同じ匂いを嗅いだりできることが尊い。そして日本語なら、もっと幅広い選択肢の中から話すことができる。と実感。

楽しかった、美味しかった、便利だった。でもほんの少し居心地が悪かった。じゃあ日本から出てけやって簡単に追い出さないでね。ロンドンだって居心地が最高なわけじゃあない。

13,000円もスーパーで使った。一番の豪遊かもしれない。シェイクスピアは電子が出てなくて取り寄せた本。

東京は、野菜の価格が結構高い、それと比べてインスタント食品やスナック菓子は安い。スーパーやコンビニでの丁寧な接客は、人間同士というよりは、スタッフ・客という線引きがしっかりあって、あ、商品買う時に小話とかしないんだ(しなくていいんだ)と思った。もちろんロンドンでも全然喋らない時もあるし、南のBrightonに行ったときは更にフレンドリーで、ロンドンの人って冷た!って思ったりもしたからいろいろだけど。

逗子で現実逃避行with海老原恒和

前まで居場所だと思っていた場所が、あれ、そうでもないなとなったり、逆もしかり。日本に帰ってきたらどんな場所に住もうか思いを巡らせた。友達と行った逗子がとても気持ちよくて、那須や横浜から通っている友人もいたなと思い出した。交通の便の良さは、長めに寝たい僕の重要条件だけど、ちょっと街から外れて、でもファミリー層過ぎないところ。みたいな場所を見つけたい。

ロンドンは、とにかく家賃や授業料が高いし、移民の立場がいつどうなるかは分からないし、やりたい仕事に就くのは難しいし、いろいろ雑だし、どうやっても「英語の下手なイーストアジア人」が僕の名詞になるんだけど、その異星人感は、今の僕には悪くない。ふとしたところで、移民たちと繋がりを感じたり、クィアなコミュニティが力強かったり、色んな面で僕をサポートしようと手を貸してくれる人たちもいる。

日本では、これからも浮き続けるだろうけど、ひとり分の居場所は手に入りそう、とにかく国が文化や芸術を大事にしないなと思うけど、違う仕組みで操業され続けている。やる気と気合いな風潮からは一歩引きたくなるけど、僕の経歴を評価してくれたり、ロンドンに行く僕を励ましてくれたり、創作や出演のオファーをくれるような人たちもいる。

どんな場所で生きるかは、経済や社会、国際情勢によって変わるし、おおよそ自由じゃないんだけど、どんな場所で、どんな異人として生きてゆくかが、人生のひとつの指標となりそうだなと考えながら、帰りの飛行機でSaltburnを観て、流石にこんな地球外生命体みたいなやつにはならんぞ。と決心。