石橋を叩いて、撫でて、対話を試みて、遂に渡ろうとしたところ、こよりで出来た橋を選ぶみたいな人生を歩んでいます。渡れよ。
渡英から1年半経ち、どっしりとした時間を過ごそう…と、思っていたら、急遽(ちいさな)ウエストエンドデビューし、演出家のWSを受け始めたら思ったより課題が忙しく、別口でミュージカルの執筆をしたり、翻訳や異文化交流を主軸に置いた演劇制作のWSに採択され、某ミュージカルのオーディションの審査が進み、予定変更に伴う連絡をしていたら「まずは、おめでとうじゃん」と言われ、少し反省したのでした。喜ぶの忘れて、もう次の石橋叩き始めてた。
岡田育さんの「我は、おばさん」(文庫本発売おめでとうございます)を読んで、そうなんだよ「おばさん」になりたいんだよ。って思ってから、どうにか飴ちゃん突っ込めないものか模索していた。1年以上も飲食店にいるとベテランになってしまい、仕事の半分が新人教育になるも、演出の勉強じゃ。と頭を切り替えて、一貫性を重視しつつ、伝えるだけじゃなくて己のやり方を探す時間も残す。みたいな心がけをしていたら、一部の新人たちが凄い頼りにしてくれて、忙しかった日の後に「ほんとに忙しくて、教えてもらったように引継ぎができなかったの、ごめんなさい(><)」と長文泣き言メッセージが届いて、「あなたはあなたの仕事を十分にやりましたよ。わたしが何かサポートできることがあれば、いつでも教えてくださいね」と答えていたころ、あら、これはおばさんじゃあなかろうかと。
髪をひっつめて、凛とした佇まいの、猫を飼っていて、一見厳しそうだけど、実はしっかりと親身になってくれる。みたいなおばさん像をイメージしているんだけど、今はまだ未熟が故、ブレブレ。いや、おばさんだって女海賊のように完全無欠じゃなくていいはず。ブレてこ。いや、でも演出家としては一貫性が…
「老い」や「若い世代の出現」って、怖かったり不安になったりするスティグマもあるけど、おばさんという将来をイメージして人生を歩むと、もっと先まで、もしかしたら自分が死んだ先にまで、楽しみの種を蒔けるかも。と、とても心地が良い。いつか君も、(なりたかったら)、おばさんになってくれますよーに。渡せる飴が龍角散しかないけどトレードしようぜ。
日本の新作ミュージカル作るスピードってすごいよなと感心する。特に2.5次元とかは「完成形」をゲネプロで(なぜかというとその日にビデオ取材が入るからである)用意するなんて、どうやったら成り立つのか。高橋将貴さん(ペダルや破壊ランナーではお世話になりました)の演出助手WSを受けてみたりして、いかに各セクションが初日を明確にイメージして先回りして動いているかを実感。千と千尋の神隠しのロンドン公演では、ゲネプロに間に合わせようとする日本側と、プレビューまでは制作期間でしょ?と思うロンドン側で、混乱が起こったとも聞く。そりゃそう。
イギリスは、とにかくワークショップをしたり、プレゼンをしたり、リーディングをしたり、その過程で助成金に応募したりと、R&D(研究と開発)や、選定を繰り返して作られるから、劇場でフル尺の公演はより一握り。特にミュージカルは、脚本と音楽の力を合わせるのが肝でもあるので、破壊と創造を繰り返す方法は合っている気がする。日本に新しく出来たMusical Next Seedsも応援している。創作過程から興味を持ってもらえる環境を作れたらいいよね。だって、推しの成長過程を楽しみ、応援する土壌はあるし。
ちょっと自分の作家性を見つめ直すに至ったのは、社会問題を意識して新作ミュージカルを作ると、念願叶って公演する頃には、時代にそぐわないかもという可能性。日本では再演、UKではロングランやツアーを目指して作るようなミュージカルなら、執筆時というよりは、上演する際に演出やプロデュースで社会との接点を示すほうが現実的じゃないかと思った。キャッツなんて猫の毛皮はぎ取って、ボールルームになったもんね(大好き)

舞台って、観客の目の前で、色んなプロダクションで何度も上演され直す、というのが特異で面白い基版だということを、改めて胸に刻みました。
自分の思いを、本名で、SNSではなく、公に掲載するブログ。続けていきたいし、ふつふつと話題になって連載依頼貰いたいし、挙句には本を出したい。一回すべての「やることリスト」を止めて書いたこの時間、めちゃ大事だった。お付き合いありがとう。またね。