好きでいられるのなんて今だけ

高校を浪人している先輩が流した東京事変の入水願いを聴いたとき。生と死の狭間のような香り、大人で、自立しつつも、内心はしっちゃかめっちゃかな危うさを内包する女性を具現する椎名林檎の世界に胸を打たれた。仲の良い友達はこぞって聴いていたし、かんぽ生命のCMに出演して、彼女と間接的に仕事ができたときは心が震えた。

ただ、「選ばれざる国民」の歌詞「平等なんて強弁」に疑問を持ったり、赤十字マークを模したグッズ展開やそれに対する対応、ゆうてこの人、女性たちやゲイコミュニティを具体的にサポートしてるわけじゃないよなと思い始めたり、あとは単純に音楽の好みが変わったり、段々と遠ざかっている。

良かったなと思うのは、好きだった時に全力で好きで、コンサートに行ったり、椎名林檎縛りカラオケをしたり、何にも代えられない時間を過ごせたこと。彼女が変わったのではなく、私が彼女のファン層ではなくなっただけだろう。

手持ちの和服をどうにか合わせて行ったライブ

学校でいじめられた頃、ハーマイオニーを自分に重ねて必死に勉強して、サンタクロースに何度もお願いしたホグワーツ入学許可証は、永遠に届かなかった。いや、届かなくて良かったかもしれない。

作者のJ.K.ローリングは、トランスジェンダーに対して差別的な発言を繰り返してきた。また、ハリー・ポッター関連コンテンツからの莫大なライセンス収入でビリオネアとなり、その資金力と影響力を用いて、トランスジェンダーの権利を制限すると批判される法的運動や団体を支援した。好きだった自分を否定するつもりはないけれど、トランスコミュニティの一員である私を排除しようとしている彼女を支持する理由なんて無いし、一円でも入れてたまるか。と、中指を立てながら英国で生きている。

表舞台に立つこともある私にも同じことが言えるだろう。

ブログではわざわざ参考文献のリンクを貼りながらなんか怒ってるし、インスタでは英語ばかりでしゃらくさい。と思う人もいれば、ブログから僕を知ってくれた人や、だからこそ信頼してくれる人もいるだろう。人生のどの瞬間も、それぞれ全力で天羽尚吾してきたので、何処かのいっときだけでも、誰かが僕を好きと思ってくれる時間があったのなら、個人として、表現者として、かけがえのないものだし、あなたも幸せであって欲しいなと願う。

ハリポタ無しでも全然ファンタジーなイギリス

何かを好きだと表明することは、自分の性格や夢、人間性、個性を表す重大なものになりつつあると思うし、「作家」や「アーティスト」が何をしたか、どんな意見を持っているのかが、書籍やインターネット、SNSで分かるようになった。作家と作品の関係性について、ファンが倫理的に、そして一個人としてどうすればいいのかは、より複雑さを増している。

今の私は、ある程度、しっかりとした大人として(しっかりした大人になろうとしてる人として)、他人が作り出したものに、自分の魂を100%預けることはしないようにしようと思っている。

エンターテインメントや芸術を享受して、大笑いしたり、号泣したり、心の拠り所にしたり、影響されたり。そんな、一生をかけて好きで、好きすぎた挙句、愚かにもアーティストを名乗ってイギリスまで来てしまったロマンチストであることはやめない。やめらんないよそんなの。

だけど、批判的・内省的な視点を同時に持ち続けることはできる。ヴァージニアウルフは好きだけど、ユダヤ人差別的な記録も残ってるよねとか、進撃の巨人は原作者がアルミンが殺戮を肯定しているように聞こえる台詞を書いたけど反省して変えたところまで含めて好きでいたいよねとか。そのために学べることがたくさんあるし、その学びを通じて新しいものを好きになってゆく。

自分の手の届くところにどんなものがあるのか、自分にどんな歴史があるのか、周りの人が好きなもの、言語、色や感覚。自分でも手の届かないところにある要素の繰り返しの上で、私たちは何かを好きになったり嫌いになったりする。それはいたって自然で、私は私の好きなものを通じて私を縛る必要なんてない。

ああ、喉から手がでるほど欲しかったabilletageの首に着けるコルセット、あの日に買っておけばよかった。

追記 2026年7月18日
より哲学的アプローチに興味を持った方には、こちらの記事が面白いかもしれません。参考文献も豊富です。:ファンダムの倫理学の見取り図

本記事執筆前に、Monsters: A Fan’s Dilemma by Claire Dedererを読んで、よりスッキリと記事を書きたかったのですが、力強い個所はありつつ、なかなか煮え切らなかったので、特におすすめはしません。

More posts