明日は本番。イギリスに来てプロとして舞台に立てるなんて、それが第一目的じゃなかったこともあり普通にびっくり。「そりゃアテクシの努力と才能のお陰だよ!」と、言いたい裏腹、タイミングと巡りあわせだよな。と、分かる。だって、役を得られなかった時が実力不足だったとは思わないし。
そう。ラッキーなのだ。この仕事を決めたときの面接で、あなたの人生を聞かせてと言われ、振り返ってみたら、ダンスを始めて、ミュージカルに出演して、バレエを本格的に習って、今度は演劇に出演して、高校ではミュージカルを創って、かと思えば振付師のアシスタントをやって、卒業と同時に2.5次元舞台に出演できるようになって、ブロードウェイミュージカルをやったと思えば、パンデミック以降はドラマやCMに出演しつつ、自分の創作を始め、今はイギリスで「I have tried to shift my career from actor to director(俳優から演出家にキャリアを移行しようと考えていて)」と、何度言ったかわからない。統一感はないが、色んな現場を観ることが出来て、すごい良い経験になったし、お金を貰って芝居をしてこれた。色んな特権や人々の助けがあったからこそ。
今日は全体のリハーサルがあったのだけど、他の俳優たちは当たり前のように演劇学校を卒業し、キャリアを積んで来ている人たちで、個人のスキル云々の前に「演技の的を得てる」「共通言語がある」ってこういうことを言うんだろうなと感心する。
こんなに小さなプロダクションでも、ドラマトゥルクや演出助手が居て、俳優が俳優に「軽く叩いたほうがやりやすかったら、全然やっていいよ」と言ったときに演出家が「どんなに小さなファイトシーン(殺陣)でも、殺陣師がいないなら絶対にやらないし、私は殺陣師ではないので、無しです」と宣言していて、本当に分業の文化。どっちが良い、悪いじゃなくて、イギリスでは、俳優も含めて各セクションがそれぞれ「自分の仕事をする」それをまとめあげるのが演出家、なんだなとつくづく思う。しかもめっちゃ平等。(にできるように頑張ってる(人もいる(と信じたい(お願い))))
で、とにかく、楽しい。なんで映像よりも演劇が好きなんだろうと思うと、稽古があるからかも。アイデアと経験を持ち寄って実験する時間ってなんて豊かなんだろう。プロデューサー視点としては、その段階から将来のお客さんに興味を持ってもらえないかと感じる。絶対これは違う提案や、これだ!って思ったのにやり続けると違う気がするトライとか見たくないですか?
僕は自分が何を求められているのか分析をして、バランスを把握した上でエキセントリックな提案をすることで俳優としての立ち位置を確保してきた人なので、それこそ「明日カノ」で有栖川るぅを演じたときはテストの一回目から「ありえない」演技プランを提出し、採用してもらった。ヒリヒリするけど、リスクがめちゃくちゃ高いので(相棒みたいな現場ではやらないし)、もうちょっと時間のある稽古場でやれた方が、さらに複雑な提案ができる。
「あ~、台本を読むときくらいスムーズに英語が喋れるようにならないかな~」、と、「あ~、これでもうちょっと演劇で生活が安定する世界だったらな~」というため息。何十年と向き合ってきた「演技」とまた会う事ができて、戯曲を身体に通して、自分に、舞台に、相手に、客席に届けたり、なんっっっっっっっって素敵な時間なんだろう。好きなバーの店主から「無駄だよ。君は観られるために生まれて来てる人だから~」と言われて、ぞっとした夜を思い出す。血がざわめくような小さな高揚感が、恐ろしい。
今は学びたいことが多くて、より自由(かつ戦略的に)創作ができそうな演出家を多く名乗るだろうけど、別に俳優であることを辞めなくたって良い。はは、未練とは違うんだよ。未練とは。これは、呪い。